marimekko(マリメッコ)
独創的なデザインや大胆な色使いが特徴的なフィンランドを代表するテキスタイルブランド

via marimekko with respect

marimekko(マリメッコ)は、1951年創業のフィンランドを代表するテキスタイルブランドです。

Unikko(ウニッコ)」に代表される、独創的なデザインや、鮮やかで大胆な色使いによってプリントされた製品が、ブランドシンボルとなっています。

marimekko(マリメッコ)について

ブランド名である「marimekko(マリメッコ)」は「マリのドレス」という意味で、大胆なデザインは「人々を勇気付け、幸せと喜びをもたらしたい」との願いが込められています。

マリメッコは、フィンランド人デザイナー Armi Ratia(アルミ・ラティア) と、その夫 Viljo Ratia(ヴィリヨ ・ラティア)によって、1951年に創立されました。

1949年、ヴィリヨが創業した別のテキスタイル会社に、デザイナーとして入社したアルミが手がけたプリント生地の使い方を提案するため、ファッションショーを開催したことがマリメッコ誕生のきっかけです。

当時、すでに服飾デザイナーとして評価されていた Riitta Immonen(リーッタ・イモンネン)が衣装を担当し、ショーは見事に大盛況。
このショーでモデルが着用した服は、次々に売れていきました。

明確なヴィジョンを持つ女性たちによる画期的なショーがきっかけとなり、マリメッコはその後の発展を続けることになり、現在に至るまで生み出された名パターンの数々は、時代を超えて世界中の人々を魅了しています。
ちなみに、ブランドのロゴは1954年に誕生して以来、一度も変わっていません。

marimekko(マリメッコ)の主なアイテムラインナップ

マリメッコは、自社のプリント工場で生産するテキスタイル・ファブリックを単体で販売しています。
また、さまざまな素材や柄を用いたファッションアイテムのほか、近年はキッチン・テーブルウェアを展開しています。

テキスタイル・ファブリック

マリメッコのすべてのファブリックは、ヘルシンキの本社内にあるプリント工場で生産されています。
生地の長さはなんと毎年 100万メートルにも及ぶそうで、それだけ世界中で愛されていることがうかがえます。

また、本社と工場の距離が近く、デザイナーとプリント職人が連携しやすいことも、新たなデザインの創生に関係があるといいます。

人気柄には、「Unikko(ウニッコ):けしの花」や「Lokki(ロッキ):かもめ」といった抽象的な大柄なものがあります。

ほかには「Kurjenpolvi(クルイェンポルヴィ):ゼラニウム」や「Puketti(プケッティ):花束」のような、繊細なタッチで描かれたデザインも定評があります。

パターンのバリエーションは多岐にわたりますが、どのデザインにも共通していることは、「大胆さ」と「普遍的な美しさ」、そして自然や日常からインスピレーションを受けている点です。

時代や流行にとらわれずに長く使い続けられるデザインを心がけ、「人々の日常に喜びと幸せをもたらしたい」というマリメッコの想いが込められています。

ファッション

マリメッコが、自社生産した独創的なパターン生地の活用方法のひとつとして提案したのが、ファッションアイテムでした。
それはやがて主力アイテムとなっていきます。

マリメッコの創業まもなく、服飾デザイナーの Vuokko Eskolin-Nurmesniemi
(ヴオッコ・エスコリン-ヌルメスニエミ)が加わると、「(当時の)フィンランド人女性をコルセットから解放してあげたい」という彼女の強い思いから、締め付けのないワンピースや、身体のラインを強調しないシャツが次々と発表されました。

また、現在も定番アイテムのひとつ「Tasaraita(タサライタ)」は、1960年代に Annika Rimala(アンニカ・リマラ)によって生み出されたデザインです。

アメリカの炭鉱場で働く人々にヒントを得て、服のテイストを選ばないボーダー柄と、動きやすく大量生産が可能なジャージー素材の服は、発売当時から多くの支持を集めました。

マリメッコのファッションアイテムは、アーティスティックなパターンと、普遍的で時代を問わず着続ることができるデザインで、日常に喜びをもたらしてくれます。

キッチン・テーブルウェア

マリメッコが本格的にキッチン・テーブルウェアの展開を始めたのは、2000年代に入ってからのことです。
2009年、陶芸家でガラスデザイナーの Sami Ruotsalainen(サミ・ルオッツァライネン)が手がけた、初のテーブルウェアシリーズ『Oiva(オイヴァ)』が店頭に並ぶと、またたく間に大人気となりました。

定番アイテムには、セラミック製のマグカップをはじめ、プレートやティーポットといったものが並びます。
ミリ単位までこだわったフォルムは、実用性と機能性のバランスが緻密に計算され、使い勝手のよさが特徴です。

Oivaシリーズをきっかけに、テキスタイル製品で人気のパターンに加え、テーブルウェアのためにデザインされた「Siirtolapuutarha(シイルトラプータルハ):市民菜園」といったオリジナル柄も考案されました。

キッチンウェアには、エプロン、ミトン、ナプキンのような、テキスタイル会社ならではの豊富なアイテムが揃い、台所空間を明るく彩ります。

定番柄「Unikko(ウニッコ)」について

「marimekko(マリメッコ)」と聞いて、多くの人がまず、大胆な花柄のUnikko(ウニッコ)を想像するでしょう。
定番パターンとして世界中の人々に愛されるウニッコは、どのようにして生まれ、発展を遂げたのでしょうか。

Unikko(ウニッコ)の誕生

ウニッコ柄が生まれたのは、1964年のこと。
当時フィンランドで花柄といえば、可愛らしいイメージが強かったこと、創業者アルマが目指す、モダンでコンテンポラリーなデザインとのイメージとはかけ離れていたことから「花柄はつくらない」との宣言が下されます。

そんな中で「それでも花柄はいらないと言えますか?」と、デザイナーの Maija Isora(マイヤ・イソラ)がアルマに見せたのが、『Unikko(ウニッコ)』だったのです。

大胆かつシンボリックで、時代に左右されない完ぺきなデザインに圧倒されたアルマは、マイヤの提案を受け入れることとなりました。

Unikko(ウニッコ)の色について

ウニッコといえば、鮮やかな赤やピンクが貴重のパターンが定番ですが、発表当初はほかに青ベース、黒ベースが発表されました。
現在に至るまで、同シリーズで発表されたカラーパターンは 80種類以上にも及びます。

時代や用途に合わせて、柔軟に対応してきたウニッコの色は、考案者であるマイヤのオープンなマインドによるところが大きかったようです。

彼女の、ウニッコ柄で新たな色やアイテムを生み出し、パターンの可能性を見つけてもらいたい、という思いがあったからこそ、ウニッコ柄は今日まで多くの人々の生活に浸透しています。

誕生から50年を迎えたUnikko(ウニッコ)

発表当初から変わらぬ人気を誇るウニッコは、2014年に誕生 50周年を迎えました。
拠点であるフィンランド・ヘルシンキをはじめ、世界 5都市でコラボレーション・限定商品が発表され、ウニッコ柄がさまざまなアイテムや空間を彩り、世界じゅうのファンがウニッコの誕生を祝福しました。

日本では、デザイン性の高い和菓子店 HIGASHIYA(ヒガシヤ)で、ウニッコをかたどった練り切り菓子と落雁が登場。
包装にオリジナル風呂敷が使用されたり、店舗のあちこちにウニッコ柄があしらわれたりと、見事なコラボレーションで話題になりました。

また2012年からは、フィンランド航空(FINN AIR)とのコラボレーションを開始し、機内のアメニティや一部座席にウニッコ柄が採用され、多くの搭乗客を楽しませています。
ウニッコは、誰もを笑顔にしてくれる、不思議な魅力を秘めています。

marimekko(マリメッコ)のデザイナー

マリメッコには、ブランド創立時から現在に至るまで、多くの才能あふれるデザイナーに支えられてきました。
今回は、マリメッコにおいて特に重要と思われるデザイナーをご紹介します。

Maija Isola(マイヤ・イソラ)

Maija Isola(マイヤ・イソラ)は、マリメッコを代表するテキスタイルデザイナーです。
創業者のアルマにとって、ブランドの前身『Printex(プリンテックス)』社時代から、盟友ともいえる存在だったマイヤ。

人気パターンの「Unikko(ウニッコ)」をはじめ、「Kivet(キヴェット)」Kaivo(カイヴォ)」は、すべて彼女がデザインしました。

約40年にわたるマリメッコでのキャリアの中で、マイヤ・イソラは 500以上の作品を手がけました。
その偉大な業績は、現在も敬意をもって受け継がれています。

出典 Maija Isola – Wikipedia

Vuokko Eskolin-Nurmesniemi(ヴオッコ・エスコリン-ヌルメスニエミ)

ヴォッコは、服飾デザイナーとして1953年にマリメッコへ入社。
1960年までの在籍期間で、服のデザインもこなした一方で、柄のデザインも手がけました。

Pirput Parput(ピルプト パルプト)」「Nadja(ナドヤ)」「Varvunraita(バルブンライタ)」といった、初期マリメッコの人気パターンを数多く輩出しています。

彼女が在籍中に考案した、プリント時に起こる色の重なりを活かしたデザイン方法は、のちのデザイナーたちに多大な影響を与えました。

脇阪克二(わきさか かつじ)

マリメッコ初の日本人デザイナーである脇坂克二は、1968~ 1971年と 2001年に活躍しました。
彼の代表作品ともいえる、遊び心溢れる車のパターン「Bo Boo(ブーブー)」は、子ども向けのアイテムに多く用いられ、特にアメリカで人気を博しました。

のびのびしたタッチと、力強くもやさしいタッチで、子どもだけでなく大人のハートも掴む、マリメッコの定番パターンのひとつです。

Maija Louekari(マイヤ・ロウエカリ)

現在、ヘルシンキを拠点にイラストレーター・デザイナーとして活動する、マイヤ・ロウエカリ。
2003年にマリメッコとヘルシンキ芸術大学が共同開催したデザインコンペで見事勝ち抜き、同年ブランドでのキャリアをスタートしました。

2009年に発表された、マリメッコ初のテーブルウェア『Oiva(オイヴァ)』シリーズのパターン、「Siirtolapuutarha(シイルトラプータルハ):市民菜園」を手がけ、大きな話題になりました。

ほかにも「Kuusikossa(クーシコッサ):トウヒの森」「Rasymatto(ラシィマット):使い込まれたラグ」のような、日常風景を切り取った素朴で繊細なパターンで、多くの人々に発信しつづけています。

時代に左右されないmarimekko(マリメッコ)のデザイン

60年以上の時を経てもなお色あせることのない、マリメッコの大胆かつ抽象的なデザインは、使う人の個性を引き立て、暮らしに色どりを与えてくれます。

マリメッコのデザインは、創業者・アルマがかつて語った「時代を感じさせない、使い続けられる商品」として、誕生から現在に至るまで多くの人々に喜びをもたらし、世代を超えて愛されています。

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